大河ドラマについて、あれこれ妄想するブログです。
■■■『天地人』総評
2009/11/23 Mon天地人
09年の大河ドラマ『天地人』は、全47回の放送を終えた。番組を観ていた人、それぞれの思いがあるだろう。私も、イチ視聴者として、思いのたけを記しておきたいと思う。なお、これは個人的な感想であって、誰かの意見にケチを付けるつもりはないし、自分の感覚が絶対的に正しいとも思っていない。ただ、この大河ドラマを観て、感じたことを記録しておきたいだけだ。そしてその意見が、誰かと繋がっていけばいいなと思っている。それだけである。

では、行こう。かなり長くなるが、お付き合いのほど、よろしくお願いします。今までなるべくレビューを書く際には笑いを織り交ぜてきたが、今回はまとめなので、遠慮なく、忌憚なく、言わせてもらおうか。

私は09年の大河ドラマ『天地人』を、

大河ドラマ史上最低の作品である


と断言する。以下に、その理由を、



七つの大罪



になぞらえて記すものである。







傲慢


このドラマは制作姿勢からして傲慢極まりない。そもそもテーマである「愛」と「負け組の美学」が、上から目線のとって付けたようなものでしかないのだ。「愛の兜」に「LOVE」という現代的価値観を無理やり仮託し、それだけで説得力を得ているように勘違いする態度。「負け組を描く」と言いながら、主人公賛美を繰り返し、まったく敗者に見えないどころか偉そうな偽善者にしか映らないキャラクター造形。これらは全て、ご大層に掲げたテーマが、実はスカスカの言い訳にすぎず、まったく本気で取り組む姿勢がなかったことによるものだ。その結果、一体何がしたのか、何が言いたいのか、さっぱり意味不明なストーリーとなってしまった。こんな陳腐な内容で、視聴者が「そうだ、そうだ」と喝さいを送ると思ったのならば、とんでもない舐めっぷりである。

そもそも歴史上の偉人を描くのだから、現代の価値観や流行っている風潮をねじ込まなくても、足跡を丹念に追えばそれだけで感動できるレベルの題材なのだ。今、生きているこの時代の価値観を絶対視し、過去の話を弄くり回す。そうしなければ視聴者には解らないものだと侮る。これは、過去の人にも、現代の視聴者にも、どちらにも失礼で傲慢極まりない態度だろう。バランスを取りつつ名作を送り出してきた、先輩の時代劇にも失礼だ。その象徴が、結局最後までモサモサと伸ばしっぱなしだった、主人公主従の不自然で不愉快な髪型だろう。「そうした方が馴染みやすいだろうから」という態度そのものが舐めているということに、なぜ気付かない?

出すべき人物を出さず、描くべき功績を描かず、現代的でなおかつ陳腐な価値観を無理やりに当てはめる。偽善的な世情に迎合し、愛などという胡散臭いテーマを付与して満足し、後は自分たちの都合のいいように足跡を改ざんする。人気俳優を集めただけで、中身は空の弁当箱。こんな内容で、「ひとりのマイナーな戦国武将の人生を描き切った」と思っているのなら、大間違いである。傲慢、これが第一の罪である。







怠惰


信じられないことにこの大河の脚本家は、関ヶ原についてスタッフから、「小松さんの書いていないところで有名な武将がいっぱい戦って死んでますよ」と言われて、登場人物を増やしたそうである。あれで、増やしたのだそうだ。つまり大谷刑部や島左近や宇喜多秀家すらなく、真・小松版関ヶ原では、「ただ金吾が裏切って終わり」だけだった可能性もあるのである。なんということであろうか。大河ドラマで関ヶ原のシーンを描くという大役を得たのに、参戦した武将の名前すら調べないのだろうか。それを、自慢げに「アタシも勉強しましたァ」とストーリーブックのインタビューで述べるとは、どういう神経なのだろう。

こういう言葉がある。「型を知って破れば型破りだが、知らずに破るのは型なしだ」。…武将がほとんど出てこない戦国モノがあってもいい。描きたい主題が現代的価値観でもいいだろう。だが、大河ドラマで戦国時代を描くとなれば、必死で勉強しないか普通?学んで、自分の中で消化して、取捨選択して、執筆するのが筋だろう。それを、有名な武将の名前すら知らんで書くとは、どういう怠慢なのだ。そんな勉強不足だから、味方の城が玉砕した直後に嫁とイチャつくとか、決死の撤退戦の直後に団らんしようとするとか、人格の破綻した主人公になるのだ。戦国時代・戦国武将を知ろうという意欲がゼロである。

そもそも、オファーが来てからどれだけ時間があったよ。興味がないから?じゃあ引き受けんなよ仕事を。内館牧子氏とか、明らかに畑違いの『毛利元就』でも、ちゃんと勉強して臨んでいる姿勢は感じられたぞ。今年の脚本家はなんだ。ずっとお菓子食いながら韓流ドラマでも観てたのか。勉強不足を覆い隠すように、登場人物も少なく、居ても空気な武将多数。「必要最小限の登場人物に絞った」のではなく、「必要最小限の人物しか調べなかった」のがバレバレではないか。なんだこのスカスカのクレジットは。『葵』や『新撰組!』の登場人物数と、血の通い具合を観るがよいわ。

このような怠慢が、今年は至る所で見受けられる。忍者っ娘の年齢が年下だとヤバいと気付いて姉に設定変更するとか、城の所在地が完全に間違っていたりとか、ちょっと調べれば解るミスも多い。重箱の隅をつつくようなアラ探しは嫌いだが、今年は重箱の中身すべてがコンビニ弁当未満の内容で、しかも半分以上が上げ底のスパゲティみたいなもんだ(さすがに頑張った役者さんに気を使って、残飯とは言わん)。だから、余計にアラが目立つのである。怠惰、これが第二の罪である。





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かなり容赦のない批評が続きます。
暫く美しい緑の画像をご覧ください。







強欲


欲だけは強いのが今年の大河である。視聴率のためなら、作品が破綻しても構わないような勢いであった。人気のある三英傑のひとり・織田信長を、直江兼続とあまり関わりが無いにも関わらず無理やり出していたのは、まだ可愛い。伊達政宗など、実際に好敵手といってもいい人物でも、人気取りに出しているだけで深く描く気はさらさらない。真田幸村も、ネームバリューだけで絡ませ、なんと夏の陣の活躍すら描かない。噛んだガムを捨てるように人気者を消費しているだけである。あまりにもあざとい。

そして酷いのは各話のサブタイトルである。毎回毎回、意味深だったり御大層だったりする癖に、詐欺のような肩すかしばかり。普通、サブタイはこだわりを持って付けるものであろう。作品の一部どころか、毎回のテーマを代表するものだ。それを、ほとんど視聴者を引っ掛けるための道具にしか使っておらん。表現したい、描きたいものが、まるで伝わってこない。感じるのは、数字を取りたい欲求と、無難に済ませたい心情だけだ。制作と脚本もそうだが、演出も変なインパクトだけを狙った、大仰でセンスのないものばかり。次回予告も詐欺の福袋みたいなものであった。

さらに、人気が出たとあらば、脚本を即座に改変してまで子役をプッシュしまくる現金な態度。これは、さすがに呆れた人が多かったのではなかろうか。子役を押せという制作の姿勢があざといのは勿論のこと、要求された脚本のほうもホイホイと手直してホームドラマパートを増やしているようにしか見えない。数字さえ取れれば、作品のクオリティなど、どうでもいいと言わんばかりである。おそらく、「視聴率が高い=自分たちは素晴らしいものを作った」と勘違いしておることだろう。だから講演会などにも、積極的に出向いているのだろう。どこまで尊大でがめついのであろうか。強欲、これが第三の罪である。







不遜


題材となる歴史上の人物に対し、ここまで尊敬の念を欠いた作品が今まであっただろうか。徳川家康は小物でどうしょうもない悪人、直江兼続は泣き虫の偽善者、周囲の人間はただマンセーするだけのモブという扱い。歴史上の偉人を敬うという気持ちが、まるで感じられない。たとえ悪役に描くとしても、もう少し人物像に奥行きを持たせることはできるはずだ。これではただのバカとか、ただのワルを記号的に描いたに過ぎない。創作キャラならまだしも、歴史上の人物なのだぞ。大河ドラマなのだぞ。それが放送されることの影響と、歴史の重みってものをちっとは考えろや。片方を絶対正義、片方を絶対悪と描くなんて、今どき戦隊シリーズでもベタすぎてやらんのではなかろうか。それを歴史上の人物に当てはめてしまうセンスが、もはや救いようがないほど傲慢不遜である。

制作側の不遜ぶりをいちばん端的に表しているのが家康の描き方であったが、猛将の市松を架空女キャラに投げさせるのも、不遜きわまりない行為だった。他にもいろいろと出てきたが、きちんと描けていた人物はほとんどいない。だいたいが使い捨てのモブに毛の生えた程度か、主人公のマンセー要員だ。そしてもう一つが忘れてはならないのが、家康と同衾しているシーンでのみ出てきた朝日姫である。なぜ、デブスでなければならんのだ。なんでああいった、使い捨ての、冷酷極まりない、残酷な、ただの晒しものみたいな描き方が平気で出来るのだろうか。確かに笑いは取れる。しかし、歴史上の人物をそんな扱いにして、良心の呵責というものはないのだろうか。いざ「面白さのために、やる」となっても、ちっとは「露悪的」な臭いが残るものだ。しかしあのシーンには、そういうものは一切なかった。そもそも初めから、このスタッフにとって、歴史上の人物とは素材とか駒という意味でしかないのだろう。プロデューサーのガチャガチャ発言も、ただただあきれ果てるばかりである。歴史が好き嫌い以前に、大人として、日本人としてどうなのだ。

人物・歴史への畏敬がまったく無いということは、人間への興味がまるで無いということと同義である。自分にしか興味がないのだ。こんな人達が人間の深淵に迫る大河ドラマを作るなど、冗談にもほどがある。歴史上の偉人を、完全に自分たちの道具にしてしまって悪びれない態度。これが不遜でなくてなんであろう。歴史ファンは、もっともっと怒っていいと思う。取り上げてくれてありがとう、などと思っている場合ではない。不遜、これが第四の罪である。







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まだまだ容赦のない批評は続きます。
美しい空の画像で一息いれましょう。








稚拙


はっきり言って、今年の大河は、歴史がどうこう言う前に、ドラマの体をなしてないと思う。出てくる人物のどれもこれも、まるで感情移入できない薄っぺらな人物造形。最初から最後まで出ていた上田衆の、顔と名前が一致する人がどれだけいるだろうか。脇役は勿論、メインキャストもまったく魅力がない。なぜかというと、言ってる内容がコロコロと変わり、人物に一貫性がないからである。その場しのぎの一本道でストーリーを作っているため、毎回のように矛盾が浮き彫りとなり、酷い時には一話の中でも同じ人物のキャラが違う。十数分前と別の人格になっているのだ。特に主役のご都合主義展開はホントに酷かった。

この脚本家の他のドラマはまったく観ておらんけれども、いつもこうなのだろうか?伏線というものがほとんどなく、複数の人物を同時に描写することが出来ず、ただひたすらに賛美される主人公だけを描く。こんなドラマのどこに面白みを感じればいいのだろうか。「感動するところですよ」という箇所でわざわざ役者を泣かせまくったりしているが、脚本の力量不足を補う怠慢だとしか思えない。大勢の人物が登場し、それぞれの心情が複雑に、ダイナミックに絡み合い、衝突したり和解したりするのが大河の醍醐味ではないのか。こんな破綻しまくったストーリーしか描けないのなら、それは実力不足としか言いようがない。あまりにも粗末な内容である。

そして演出。これもまた酷かった。なんというか、ほんとに幼稚な見せ方ばかりで、呆れてしまう。初期のスポットライト演出も寒かったが、後期になると開き直ったかのようなBGM無双で、どんな場面でも正当化。フラッシュバックやエコーもかなり恥ずかしかった。こんなに安っぽくしたのは、脚本に合わせたのか?ワザとやっているのか?なんにしても、ドラマ全体を包む空気がとことん稚拙で、観ていられないほどだった。

ついでに言えばアバンタイトルも酷いものであった。ロミオ&ジュリエット、薔薇のフレーム、顔文字の登場…。私は、アバンは割と、遊んだらいいと思うほうなのである。昔の大河だって、当時の風俗をやたら取り入れたり、いろいろと寒い小ネタをやっておった。けれどもそれは、本編が重厚な「大河ドラマ」だからこそ良かったのだ。アバンタイトルで軽薄、本編でもっと軽薄では、話にならんではないか。稚拙、これが第五の罪である。







保身


前田慶次郎や最上義光が、遂に登場しなかったのは、皆さんご存じの通りである。この理由が「事なかれ主義」だと確定した時には、さすがに怒りを通り越して茫然としたものだ。なんという、後ろ向きな姿勢であろうか。なんという、志のなさであろうか。「愛=LOVE」の言い訳を登場人物に言わせたり、『謙信を超える』というタイトルを引っ込めたり、あらすじの「団らん」を慌てて削ったり…。どうしてこう、保身みたいなことにしかベクトルが向かないのだろうか。直江兼続を魅力的に描くために、慶次郎や義光は必要不可欠であったはずだ。それを「抗議が面倒」という理由で省いてしまえるなんて、本当にこの企画に対し、やる気があったのだろうか。

大河の制作統括や脚本を任されれば、それはもう一世一代の大仕事と思って、全身全霊をかけて取り組むものではないのか。なのにどうして、「作品を面白くする」ことよりも、「自らの立場を守る」ことを選ぶのだ。愛してないのか、登場人物を、直江兼続を、天地人を。堂々と自信を持って、描き切ればよいではないか。出来る自信があったから、オファーを引き受けたのだろう。それがなんで、こんなに後ろ向きな創作姿勢なのだ。

ネット上を見回してみても、慶次や義光の登場を楽しみにしていた人が多いことが解る。戦国時代が舞台ということで、胸躍る合戦シーンに期待していた人は大勢いる。兼続の謀略家としての側面、負のエピソードも描いて、人物像に深みを与えてほしかった人もいるだろう。他にも魅力的な逸話・人物は山ほどあるのに、殆どが無意味にカットされ、毎回スカスカなクレジットとスカスカな内容を見せつけられた。長谷堂や大坂の陣まで省略とは、この大河が始まる前に、誰が予想しただろうか。代わりとして出てくるのは、人気子役とか、架空の女性とか、家族の話ばかり。得意パートなら抗議もなかろうと考えたのであろうか。その行為ひとつひとつが、視聴者の期待を裏切っているというのに。どうしてもっと、志を大きく持って作品作りをしないのだ。保身、これが第六の罪である。







捏造


何度も何度も私は、梅林を目指す曹操軍のごとく、口を酸っぱくして言ってきた。私は「史実至上主義ではない」と。「フィクション大いに結構、面白ければよい」と。しかし…この大河は、そういうレベルの問題ではなく、一線を踏み越えた行為を何度もやらかしてしまった。人はそれを、「創作」ではなく、「捏造」と呼ぶ。よく捏造の象徴として取り沙汰されるのが、『北条時宗』における赤マフラーこと北条時輔であるが、一応、彼にも生存説はあったらしい。主人公が鎌倉から動かないので、能動的に飛び回って活躍する役割を背負っていた時輔。正直、成功したキャラとは言い難いが、その意図するところは理解できる。

しかし、天地人において描かれた、度を越したレベルのフィクションは、他作品のそれとは意図も性質もまるで異なる。千姫を、直江兼続が助ける。それは、「面白さ」とか「話の広がり」を目指して行われた歴史改変ではない。あれほど反抗していた徳川方に付いた主人公を「正当化」し、敵役の家康を「デレさせる」ためだけに「利用」したのだ。これを捏造と言わずしてなんと言おう。千姫を兼続が助けたなど、そんな伝承は一粒たりともなかろう。坂崎直盛も堀内氏久も無視である。これは、重大なことである。いくらなんでも、こんな完全無欠の捏造は、今までの大河で観たことがない。大胆なフィクションを描くにせよ、みんなどこかオリキャラを交えたり、改変しても影響の少ないエピソードを選んだり、最後には辻褄が合うようにしたり、いろいろと苦労しつつ表現していたように思う。ところが、この脚本家は、千姫救出という非常に有名かつストーリー上の重大な事項において、捏造を軽々とやってのけた。これは、見た目以上に恐るべき行為である。

そして、遠山。イミフターミネーター遠山。景虎に仕え、御舘で殉じた忠臣を、なぜか悪の権化のように描く不可解さ。何の必然性も、何の説得力もない。ただただ、悪の記号として利用するだけの使い方。螢雪次朗氏の顔力に頼るだけの無理キャラ。どうして、こんな意味不明なことができるのだろう。昔、遠山という名字の男に未公開株を掴まされたとか、そんな思い出でもあるのか。マイナーな人物なら、いくら捏造で極悪人に描いてもいいと思っているのか。それでもやっぱりはっきりとした悪に描きすぎるとマズいからってんで、キャラ付けを何もせずにただ要所要所の役割だけ与えてフェードアウトさせたのか。悪役として描き切る覚悟すらないのか。

五大老・五奉行制度は兼続が考えましたとか、本能寺が爆発したとか、他にもいろいろとあり得ない改変は目白押しであった。その全てが制作する側に都合のいい捏造であって、史実を尊重しようとした姿勢や、物語に深みや面白みを与えるためにあえて改変したという葛藤の様子は、微塵もない。一方、捏造は繰り返す癖に、治水事業など兼続の本当の業績についてはスルーしておった。なんだそれは。もう、直江兼続が主人公である必要性すらないではないか。

繰り返すが、私は史実至上主義ではない。過去の話なんて、この目で見た人が誰もいない以上、真実なんてものは確定できないのだ。しかし、だからこそ「歴史に対する真摯な態度」が必要なんじゃないのか。自分の創作が未来の歴史認識に影響を与えてしまう可能性を考え、慎重に、丁寧に、ギリギリまで悩んで、脚色するべきではないのか。どうしてこんなに軽々と、歴史改変を行えるのだ。それは歴史が、嫌いだからではないのか。捏造、これが第七の罪である。





傲慢 怠惰 強欲 不遜 稚拙 保身 捏造




以上7つの罪をもって、私は『天地人』を、

史上最低の大河ドラマと断言するものである。



とにかく「志がない」この一言に尽きるドラマであった。私は『功名が辻』で「大河ドラマは終わった」と思ったが、『風林火山』で希望の光がさし、このブログを始めるに至った。ところが、2年後にはもう、あらゆるレベルを超越した、想像をはるかに超えるビッグバン級の駄作を見せつけられてしまった。

しかし戦国ブームのおかげで、こんな内容にも関わらず、視聴率は好調だったのである。もし、この作品が成功作と見なされるのであれば、暗黒の未来が待っていることだろう。予算のかかる戦闘シーンは一切カット、面倒が予想される重要人物は登場すらさせず、あらゆる場面で数字だけを意識した稚拙な描写がなされ、自分たちの都合で捏造し放題、そんな方法が大河のスタンダードになるかもしれない。築き上げられた権威は地に落ち、役者を一年も拘束するドラマ作りは時代遅れだと言われ始め、50回も放送テーマを変えないのはリスキーだと叫ばれ、誰も重厚さなど求めなくなり、民放と同レベルかそれ以下の軽薄なドラマ枠となり、そう遠くない未来に「大河ドラマ終了」となる可能性だって大いにある。

そうなってほしくないから、私はキツいキツい苦言を呈してきた。
どうか良質な大河ドラマが、ずっと続く世の中であってほしい。
日本の歴史に胸躍らせる時間を、大切に作ってほしい。

志なきものは、必ず滅ぶ。

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